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翁09宮地嶽の翁 [翁]

筑紫舞.jpg
筑紫舞 宮地嶽神社HPより


翁09宮地嶽の翁

黄金色の王墓
福岡県福津市の宮地嶽古墳は、6世紀の築造と推定される古墳時代終末期の大型円墳で
ある。260年前、宮地嶽神社境内の宮地嶽中腹にある不動神社において発見された。
古墳直径は34メートル、横穴式石室は全長22メートル、高さ幅とも5メートルを超
大きな石を積み重ねて作られている。
金銅製馬具類、金銅荘頭椎大刀、長方形縁瑠璃板などの豪華な副葬品が、約300点出
土した。金銅製の冠には黄金に龍や虎の透かし彫りが施されている。3.2mの特大太
刀は頭椎がついており、金の装飾が施されている。金銅製の鐙は、金の七葉唐草文が貼
りつけられている。
古墳の主は、金冠をいただき、金の刀装具や馬具で身を固めた人物であり、北部九州
王であったと考えられている。被葬者は宗像一族の首長墓とされ、日本書紀673年の
記述より宗像君徳善と推定されている。

筑紫舞と九州王朝
筑紫舞は、筑紫傀儡子によって伝承された伝統芸能で、続日本書紀731年の記事にそ
の名を留めている。神舞、傀儡舞などに分類される200以上の舞が、口伝により伝承
れてきた。現在の伝承者は箏曲家菊邑検校から戦前に伝承を受けた西山村光寿斎である。
宮地嶽神社の奥宮、不動神社の横穴式石室古墳内で筑紫舞が代々舞われたいたらしい。
宮地嶽神社では現在でも、宮司や神職による筑紫舞の奉納は行われている。
傀儡子による筑紫舞は宮地嶽古墳内で続けられていたことから、古墳の発見が260年
前とすると、古墳内での傀儡子による舞は260年続けられたということになる。
古田武彦著幻の筑紫舞に、西日本新聞学芸部によれば「いや、今、こちらには『筑紫舞』
などというものは伝わっていません。それを名乗っているものは、戦後新しい流派を立
てた人のものだけです。戦前からのものは全くありません。」との記述がある。
筑紫舞という芸能が731年に存在していたのが事実として、それが現在の筑紫舞とど
のような関係があるのかないのかは不明だが、表現されている形態はまったく異なって
いるとしてもエッセンスの部分に何か痕跡が残っていても不思議ではない。

傀儡舞の翁
筑紫傀儡の菊邑検校が西山村光寿斎に伝え残した筑紫舞は、宮地嶽古墳内で舞われてい
たとすれば、260年前古墳が発見された時点で、何らかの動機をもって傀儡が舞の舞
台に古墳を選んだことになる。古墳の主に舞を捧げる必然性は何だったのだろうか?
古墳は墓であると同時に、王位の継承の儀式の舞台であったはずだ。傀儡子は木偶その
もの、またはそれを操る部族のことで、平安時代には狩りを行いながら諸国を旅する職
芸能人の集団である。人形と、そこに命を吹き込む傀儡の関係は、王の死んだ体と新
しい王の誕生を司る神職との関係に似てはいないだろうか?死と再生の呪術は、世阿弥
によって能という美学に昇華されていったのではないだろうか。能が表の歴史に咲いた
高貴な白い花ならば、傀儡舞は歴史の裏側で底辺に咲いた血の色の花なのだろう。

古田武彦 幻の筑紫舞より

資料 四夷之樂
中国の天子に対して、四辺の夷蛮は各自の舞楽を献納する習わしがあった。その中で、
東夷の舞楽を靺(パイ)又は昧(マイ)と呼ぶ。卑字である。
・中国王朝の儀礼 周囲の夷蛮は各自の舞楽を献納
・大和朝廷の儀礼 中国の模倣 隼人舞いなどの献納
・大和朝廷に先んずる九州王朝でも同じような儀礼があったと推測される
・周辺領域の舞楽を九州王朝に奉納する形式と推測される

資料 西山村光寿斎談
筑紫舞の中の一番中心になる舞に「翁」がある。「翁」は諸国の翁が集まって諸国の舞
をまうもので、
三人立ち 肥後の翁+都の翁+加賀の翁
五人立ち 肥後の翁+都の翁+加賀の翁+難波津より上がりし翁+出雲の翁
七人立ち 肥後の翁+都の翁+加賀の翁+難波津より上がりし翁+出雲の翁+
     尾張の翁+夷の翁
(古田説 都の翁の都は筑紫の中心太宰府をさしているものと推測される)

資料 筑紫舞の由来 1886(明治19)年 船越武四郎政重
明治以前には、筑紫の各神社の神官が神楽を行ってきた。明治維新により神社制度が変
わり神楽ができなくなったためその断絶を恐れ、田島八幡の社中の老が寄り集まり、平
尾邑の一本木の神官の下に出向き神楽舞の伝授を受け、以後筑紫舞として伝えることと
した。

資料 肥後国誌記述
・菊池郡の北宮で「山の能」と称する舞樂が行われ、その中心に「翁の舞楽」があった
・島津の軍隊が戦争の折、「翁面」を戦利品として持ち帰った
・戦後、隈府の能太夫藤吉雅楽が島津家に返却を求めると八代に返したと言われた
・雅楽は八代から「翁面」を返してもらった
・隅府の「山の能」の座中が「翁面」は自分たちのものであると訴訟になった
・白銀二百目の金子で訴訟が解決した
・菊池家が滅亡し、能式も滅びた

能が世阿弥の時代に完成されるずっと昔、日本という国家が誕生するときに、すでに翁
が舞われていたことを思うと、その有り難さと懐かしさに涙がこぼれるばかりである。





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