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翁11 飛鳥の太陽 [翁]

幻日.jpg
アメリカ合衆国ノースダコタ州ファーゴの幻日 投稿者Gopherboy6956

翁11 飛鳥の太陽

空に3つの太陽が現れることがある。幻日である。

通常、幻日は太陽から約22度離れた太陽と同じ高度の位置に見える。雲の中に六角板
状の氷晶があり、風が弱い場合、これらの氷晶は落下の際の空気抵抗のため地面に対し
てほぼ水平に浮かぶ。氷晶の一つの側面から太陽光が入射し、一つの側面を挟んだ別の
側面から出る場合、この二つの面は60度の角をなしているため、氷晶は聴覚60度の
プリズムとして働く。
この氷晶によって屈折された太陽光は、太陽から約22度離れた位置からやってくるよ
うに見えるものが最も強くなる。このようにして見えるのが幻日である。

科学的な知識がまだない頃、3つの太陽をみたときの人々の驚きはどれほどのものだっ
ただろう。イエスもマホメットもシャカもいない世界で人は何に神を見たのだろうか。
神の声を聴く預言者が神そのものになる以前、神はどんな姿をしていたのだろうか。

3世紀前半に邪馬台国に卑弥呼が現れ鬼道を行い国々をまとめていたことが記述されて
いる。 卑弥呼は太陽を祀る巫女である。卑弥呼の太陽祭祀には魔鏡が用いられ、農耕
の伝播とともに太陽祭祀の鏡が王権の象徴として列島に拡大していった。
農耕が行われる以前、人々は狩猟採集によって命を繋いでいた。縄文貝塚からは動物の
骨が数多く発見されており、その9割は鹿と猪で、他に熊・狐・猿・兎・狸・ムササビ
・かもしか・くじらなど60種類以上の哺乳類が食べられていた。
弥生時代も狩猟による猪・鹿の肉はは多く食べられている。大陸から家畜としての豚が
さらに後期になると鶏も混入してくる。
3世紀の魏志倭人伝によれば「日本には牛馬がない」「近親者の死後10日間は肉を食
べない」とある。
3世紀前半の太陽祭祀に殺牛祭祀はまだない。

古墳時代に大陸から牛馬が渡来し、乗馬として用いられるだけでなく、牛馬は肉や内臓
が食用や薬用に使われた。又、薬猟として鹿や猪狩りが行われた。
日本書紀によれば
安寧11年 猪使連という職が現れる
雄略02年 宍人部(食肉に関わる職の家系)の起源伝承と、生肉が宍膾にして食され
      た旨、牛肉を食べるのは神事であり、生肉の保存技術がないため、生贄は
      その場で屠殺して食べられたと記述されている。
欽明16年 吉備に白猪屯倉の設置
皇極01年 雨乞いのため、村々の祝部の教えに従い牛馬を殺して諸社の神を祀る

古墳時代に大陸から渡来した牛は食肉や乳製品の加工用としての他に、祭祀の生贄とし
て、屠殺されたいた。牛馬とともに日本列島に渡来した人々は、牛を屠る宗教を信仰し
ていた、つまり古墳時代以前の日本に牛馬はいなかったのだから、牛を屠る宗教を信仰
していたのは主に渡来人ということになる。それまでに生贄の習慣があったかどうかは
別として牛馬の限っては数百年の期間に限って行われていたといえる。。
大乗仏教の導入によって生贄が殺生の禁止の対象とされ、天武天皇によって牛を含む屠
殺が禁止されるまで、行われていた殺牛祭祀とは何であったのだろうか。

675(天武)年 農耕期の肉食(牛・馬・犬・猿・鶏)禁止令
676(天武)年 放生令
737(聖武)年 禁酒・屠殺禁止令
741(聖武)年 牛馬の屠殺禁止令
752(聖武)年 殺生禁止令
758(聖武)年 殺生禁止令
791(延暦)年 伊勢・尾張・近江・紀伊・若狭・越前に殺牛祭祀の禁止
801(延暦)年 越前に殺牛祭祀の禁止

殺牛祭祀は中国でも古代から広く長く行われており、日本列島にも渡来人の牛馬と共に
伝来したものと考えられる。
渡来人の殺牛祭祀のルーツがどこまで遡ることができるかは別として、代表的渡来人と
して日本史に名を残す秦氏の宗教が殺牛祭祀であったろうと考える。秦の始皇帝時代の
徐福が歴史に残る秦氏の渡来としては最も古いが、徐福の時代には牛馬は日本にまだい
ない。何世代にも渡り秦氏と呼ばれる集団が渡来している中で殺牛祭祀を持ち込んだ秦
氏とは飛鳥時代の秦河勝ではないだろうか。
秦河勝は、新羅の中の秦王国から渡来したと考えられている。
1980年代以降に朝鮮半島で発見された石碑の碑文により、牛を殺して祭天や盟誓を
行うことが新羅における特徴的な祭祀行為であることが判明した。「鳳坪新羅碑」の、
牛を殺して天を祭る儀式、「冷水新羅碑」の、牛を殺して天に語り告げるという盟誓の
儀式が6世紀の新羅で行われていた。

飛鳥時代の宰相秦河勝を始祖とする猿楽は世阿弥によって室町時代に完成される。
翁は、能にして能にあらずといわれる特別な演目である。
翁は、秦氏の神の似姿であり、秦氏の魂の遠く長く果てしのない流浪の物語ではない
だろうか。秦河勝の祭った神は、翁の中に痕跡を残しているに違いない。

(1)白い翁 翁面は太陽神

「日本書記」によれば、607年聖徳太子が建立したといわれる法隆寺は、670年に
跡形もなく炎上したと記録されている。その後再建された現在の法隆寺の境内に隣接す
る地下から夢殿の遺跡(若草伽藍跡)が発見され、その跡が南北線より西に20度傾い
ている事が明らかになった。建物の軸線を20度西に傾ける意味は何なのか。
歴史上、冬至の太陽を祀る宗教思想に基づいて建築される時、西に20度傾く。冬至の
太陽を祀る宗教、ミトラ教である。

ミトラ神は古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代に遡る古い
神であり、ヒッタイトとミタンニの条約文の中にその神の名を捜すことができる。
ミトラ教はヘレニズム時代に地中海に入り、ローマでキリスト教が公認されるまで隆盛
を誇った。イランにおいてはミトラ教からゾロアスター教がおこり、やがてササン朝ペ
ルシャの国教となるとミトラ神は英雄神、太陽神として広く信仰される。
シルクロードのソグド商人と共に中国に伝わり「弥勒」として広まった。
キリスト教、イスラム教、仏教の源流となった宗教である。

ミトラ教を国教としていた国が紀元前250~139年に興った中央アジアの「バクト
リア」である。バクトリアは大秦国と呼ばれたギリシャ系文化の栄えた国である。
バクトリアから、ギリシャ・ローマ・スキタイなど西方異民族の傭兵軍を束ねて中国の
統一を成し遂げたのが秦の始皇帝(紀元前221~210年)である。

紀元前933~紀元前782年 「アッシリア」
紀元前625~紀元前550年 「メディア王国」
紀元前525~紀元前330年 「ペルシャ帝国」
紀元前250~紀元前139年 「バクトリア」
紀元前140~紀元後045年 「大月氏国」
紀元後045~5世紀中    「クシャン朝」


ミトラ教は死と再生を繰り返す「太陽」を神として祀る。太古の太陽神ミトラは元々三
神であった。その三神、「日の出の太陽」「天中の太陽」「日没の太陽」は、キリスト
教の「父と子と精霊」に、仏教の「仏像の脇侍」へと変化していった。

冬至の日、太陽は死にそして再び甦った。


(2)黒い翁  身を焦がし焼け落ちた太陽

ミトラ教は牡牛を屠るミトラス神を信仰する宗教である。「聖牛の供儀」は、飛鳥時代
に雨乞いの儀式として盛んに行われている。ミトラ教の供儀が何故、牛であるのかは、
ミトラ神話が形成された今から6000~4000年前、西暦期限4000~2000
年当時の星座に由来していると考えられている。当時も春分点はおうし座にあり、聖牛、
獅子、蛇が春分点を起点として天の赤道と黄道にそってならんでいる。ミトラはペルシ
ャの神と考えられていたので星座名はペルセウスである。ギリシャではアポロである。
ペルセウスの被っている帽子はフリギア帽といい、プルートーの姿かくしの兜といわれ
ている。

エピソード (ミトラ教研究 東條真人著より抜粋)
・三兄弟の約束
老クロノスは、3兄弟を呼んだ。長兄プルートーには姿隠しの兜、次男ポセイドンには、
三叉の矛、末子ゼウスには雷電を与えた。
クロノスは3兄弟に世界を配分統治させることにし、冥府をプルートーに、海をポセイ
ドンに、地上をゼウスに統治させ、天上王権はゼウスに譲った。このときゼウスは、海
神ポセイドンから生命の種子をもらい生き物をつくること、生き物には寿命を定め、寿
命がきたら冥府神プルートーのもとに送ることを約束した。プルートーは長男の自分で
なく末子ゼウスが天上王権を受け継いだことが不満であった。
・ゼウスの裏切り
ゼウスは、自分の時代を始めるにあたり、聖王ディオニソスをつくり、地上の王にした。
ディオニソスに聖牛を与えるとともに、不老不死の仙酒ソーマの作り方を教えた。
ディオニソスは、ソーマ酒を作りすべての生き物に分け与え、すべての生き物を不死に
しようとした。
・プルートーの怒り
プルートーはこれを聞き激怒した。天上王権のことで不満に思っていたところにゼウス
が約束を破ったからだ。プルートーはライオンの仮面と姿隠しの兜をつけて戦闘の準備
を整えるとゼウスの王国を攻撃した。プルートーが太陽、月、星々の光を消したので、
長い冬が訪れ、地上のすべてが死に絶えた。真っ暗な闇の中、プルートーが送り込んだ
巨人族が聖王ディオニソスを襲い八つ裂きにして食べた。ディオニソスの元にいた聖牛
は、プルートーの手下が冥府に連れ去った。世界は無人の荒野になり、闇と死と静寂に
包まれた。
・救世主ミトラ
悲嘆にくれるゼウスは、女神ニュクスも助言で、霊山にのぼり、老クロノスを訪ねた。
老クロノスは「この子に任せなさい。この子は我が化身だ。」といってミトラを紹介し
た。
・聖牛の供御
ミトラは、ゼウスから話を聞くと、プルートーが隠した聖牛を見つけ出すために稲妻と
なって地上に降りた。日輪神ソルは、日ごろミトラと張り合っていたが、クロノスに命
じられたので、カラスを使者としてミトラのもとに行かせた。ミトラはカラスの案内で
数々の苦難を乗り越えて、冥府のはずれの草地にいた聖牛を捕まえ、聖なる洞窟で供御
を執り行った。
・世界の再生
聖牛が死ぬと、大きな奇跡が起きた。白い聖牛から立ち上った光は天に昇り、太陽、月
そして星々に次々と光をともして光をよみがえらせた。その様子はまるで、闇の中に無
数の火の花が咲いたようだった。聖牛の尾と血からは麦穂とぶどうが実った。睾丸から
は聖なる種子が生まれたので、ミトラはそれをクラテールという大甕にためた。
ミトラはこの聖なる種子と四元素を混ぜて、人間を含む地上のあらゆる生き物を作り出
した。草と木々も作りだした。見る間に草が芽吹き、緑のカーペットが人広がっていっ
た。すくすくと樹木がのび、あちこちに森ができた。動物、鳥、魚、人間、陽性たちが
次々と復活し、海、山、森、草原、湖、渓谷、あらゆるところに満ち溢れた。
死の世界は生き返り、活気と喜びでいっぱいになった。


翁に救世主ミトラも聖牛も登場しない。

白い翁は、天中に白く輝いて地上に恵みをやさしく降り注ぐ。
自らの体を燃やすことで地上には光が満ち命が育まれる。

白い翁は、白く輝く太陽、そして救い主。

黒い翁は、自らの体を燃やし尽くす太陽。
燃え盛る炎は天の怒りのように地上の命を焼き尽くす。

黒い翁は、燃え尽きて地上に落ちた太陽。
黒焦げの太陽の体から、新しい命が生まれ新しい明日が始まる。

黒い翁は、焼け焦げた太陽、そして供儀としての聖牛。








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