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井筒03 飛鳥の井戸 [井筒]

飛鳥宮大井戸 明日香村教育委員会提供.jpg
飛鳥宮大井戸 明日香村教育委員会提供 

井筒03 飛鳥の井戸

「伝飛鳥板蓋宮跡」には、方形の石敷きの井戸がある。
7世紀飛鳥時代の歴代天皇の宮殿は、(難波長柄豊崎宮と近江大津宮はのぞく)
ほとんどこの地に営まれた。

629(舒明0)飛鳥岡本宮
636(舒明8)飛鳥岡本宮 消失 臨時に田中宮
643(皇極2)飛鳥板蓋宮 
645(大化0)難波長柄宮宮
655(斉明0)飛鳥板蓋宮 出火 飛鳥川原宮
658(斉明2)後飛鳥岡本宮
672(天武0)飛鳥浄御原宮
694(持統8)藤原京

発掘調査の結果、
最下層:舒明天皇の 飛鳥岡本宮
 中層:皇極天皇の 飛鳥板蓋宮
最上層:斉明天皇の 後飛鳥岡本宮 と 整備した天武天皇の 飛鳥浄御原宮
が重なって埋まっていることが確認されている。

現在地表に残された石敷きの遺構はしたがって、
斉明天皇の 後飛鳥岡本宮 を 整備した天武天皇の 飛鳥浄御原宮 の遺構であり、
斉明天皇の時代の姿と同じものではない。
飛鳥京の他の遺跡も、後の整備によって原型とは配置も含めて変形しているか考えてよい。

しかし、舒明から天武までの宮の多くが同じ場所に幾重にも重ねられたのは何故か。
特別な意味があったことを示すのが井戸であったと思う。

日本列島は水資源に恵まれていたため、人々は川辺や海辺に居住していた。
井戸は、稲作や製鉄や織物といった技術と共に、弥生時代に導入された革新的技術だった。
井戸は、すなわち地に穴を掘る技術であり、
地中の水脈を探り、水を得れば井戸となり、
地中の鉱脈を探り、鉱物資源を得れば坑道となった。
水脈も鉱脈もすなわち宝、財であり、権力の源泉であった。

飛鳥以前に渡来した技術者たちは、水田や物流の為の運河や用水路をつくり、
残土を築山とし、そこを彼らの王の墓とした。
土師氏が盛った土に、横穴の室を石でつくり、王墓とした。
王は最初に朱を、次に丹を、最後に鉄を得るための抗すなわち井戸を掘った。
「あなむち 穴遅」という名は、古墳時代の井戸の王の名であろう。
井戸の技術者は「あなし 穴師」「あのう 穴生」と呼ばれる石工技術集団になった。
「穴太衆」は現在の滋賀県大津市坂本穴太を本拠とする石工集団で、戦国時代には、
安土城を始めとする多くの城の石垣を築造した。

飛鳥に京が作られた600年代は、井戸が王の権威として認識されていた時代ではなかったか。
水や鉱物などの資源の象徴であると同時に、この世とあの世を繋ぐ霊魂の通路として、
祭祀の中心に水すなわち井戸があったのではないだろうか。仏教が伝わる前の話である。




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