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井筒04 水辺の乙女 [井筒]

天真名井.jpg
天真名井 槻の木(欅)の根本から湧き出る泉


井筒04 水辺の乙女

タキリヒメ・イチキシマ(サヨリ)ヒメ・タキツヒメ

アマテラスとスサノオは天の安河を挟んで誓約した。
アマテラスはスサノオの十握の剣をもらい、三つに折って天の真名井で振り清め、よく
噛んで吹き出した息吹からタキリヒメ・イチキシマヒメ・タキツヒメを生んだ。
スサノオはアマテラスから勾玉を結んだ玉をもらい、天の真名井で振り清め、よく
噛んで吹き出した息吹から五柱の男神を生んだ。
先に生まれたスサノオの三柱の女神タキリヒメ・イチキシマヒメ・タキツヒメは、宗像
神社の沖つ宮・中つ宮・辺つ宮に鎮座した。


トヨタマヒメ(豊玉姫)

海神オオワタツミノカミの娘トヨタマヒメは、天孫ニニギノミコトとオオヤマツミノカミ
の娘コノハナサクヤヒメとのホオリノミコトと結婚し、ウガヤフキアエズを出産。
出産に際し、見てはならないとの約束を破り、ワニまたは龍の姿になったトヨタマヒメの
姿を見てしまったため、ワタツミノカミの国へ戻った。
ウガヤフキアエズはトヨタマヒメの妹タマヨリヒメに養育され、成人した後タマヨリヒメ
との間にカンヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)をもうける。

セオリツヒメ(瀬織律姫)

水神、滝神、川神、海神(九州以南)。
伊勢神宮内宮別宮荒祭宮祭神ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ 、又は悪神
八十禍津日神の別名の別名と考えられているいる。
八十禍津日神については、祓戸四神の一柱で穢れを早川の瀬で清めるとの記載があるが、
「大祓詞後釈」においては「深き理ある事なりける」とあるだけで、高天原との繋がりは
不明。
他に、祇園祭鈴鹿山ご神体の鈴鹿権現、熊野権現もセオリツヒメと伝えられている。
又、七夕伝説の織姫、棚機津女は巫女であり、水辺の機屋でその夫である神の衣を織り、
一年に一度神は棚機津女から神衣を受け取り、豊穣をもたらし穢れを持ち去る。

ヌナガワヒメ(沼河比女)

大国主は、高志国沼河に住む沼河比女に歌を送り求婚した。二人は翌日結婚し、タケミナ
カタノカミを持った。タケミナカタは姫川をさかのぼり諏訪に入り諏訪大社の祭神となる。
古語の「ぬ」は宝玉を表し、翡翠を指している。沼河比女は、高志国の祭祀王であったと
考えられる。

イイトヨノヒメミコ(飯豊青皇女)

飯豊皇女、飯豊王女 飯豊女王、飯豊王、飯豊郎女、青海皇女、青海郎女、忍海郎女、
忍海部女王、忍海飯豊青尊の別名。
23代清寧天皇、24代顕宗天皇の間の執政者(天皇)。
古語の「いひとよ」は梟を指す。「おしぬみ」は飯豊王の本拠地葛城内の地。
「あおみ」は、福井県内の地名、青衣の女人(修二会過去帳)、青旗(葛城山の枕詞)、
などと関係が推測される。
「陸奥国風土記 逸文」に福島県飯豊山についての記載がある。
「白川郡飯豊山。この山は、豊岡姫命(豊受比売神)の忌庭なり。又飯豊青尊(飯豊女王)
、物部臣をして、御幣を奉らし賜ひき。故、山の名を為す。
故老曰へらく、昔巻向珠城宮の御宇天皇(垂仁天皇)27年の秋、飢えて人民多く亡せき。
故、宇恵々山と云ひき。後に名を改め豊田と云ひ、飯豊と云ふ。」

ハシヒメ(橋姫)

橋の袂に男女二神を祀ったことをはじまりとする、水神。
外敵の侵入を防ぐ橋の守護神であり、嫉妬に狂う鬼神でもある。
橋姫神社 :京都府宇治川の宇治橋
橋姫神社 :伊勢神宮五十鈴川饗土(疫病や悪霊を防ぐ道饗の祭の地)
橋姫神社 :滋賀県瀬田の唐橋
橋姫神社 :大阪の長柄橋(現存せず)

サラスヴァティ(弁才天)

ヒンドュー教の女神サラスヴァティは、仏教に取り込まれ弁才天となる。
サラスヴァティはインドの聖なる河の名。音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神。
河の神であることから、井戸、ため池、河川の治水や、水神、宗像三女神の一柱イチキシ
マヒメと神仏習合して、泉。島、港湾の入り口に、弁天社、弁天堂として数多く祭られた。
他にセオリツヒメが弁才天として祭られる場合もある。日本五大弁天は、
竹生島神社   ;琵琶湖竹生島宝源寺
大願寺     :広島県宮島
江島神社    :神奈川県江之島
天河大弁財天社 :天川村
黄金山神社   :金華山


大古、祭祀は巫女によって行われた。
さらにさかのぼれば生命を生み出す女性はかつて女神であった。生命は水の中に生まれる。
水は生命の源であり、水を司るのは女神であった。
狩猟採集世界において、地母神は食という命を司る水の女神であった。

農耕が始まり、食をコントロールする知恵者が王となり、泉は井戸にその座を奪われる。
泉の女神は、新たに現れた絶対神から神託を受ける祭祀王に転落した。
祭祀王である巫女は、絶対神に雨乞の祭祀を行い、託宣を軍事行政王に伝えた。
大和朝廷は、狩猟採集世界から農耕社会に移行する過程で、女性祭祀王と男性行政王が並立
した社会であったのだろう。推古や斉明といった女性天皇は農耕社会変革の過渡期に必然的
に現れたのであり、決して中継ぎなどというものではなかったはずだ。

女神たちは、男神(行政王)との結婚という神話で、物語の中に封印されていったのだろう。




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