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いはて物語 奥州千年記 最終章 夜明け前 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 最終章 夜明け

 森も里も海も再び甦り、この地に新たな時代が訪れました。
 そろそろ夜が明けるので、私は物語の中に帰らなければなりません。太陽が昇る前、闇はその力を増しますがそれは一時にすぎないのです。すべての命が生まれたての一日を迎える時、世界が昨日よりも少しだけ良くなっていれば、いつか夢が叶うと信じています。
千年前、物語の中に永遠の命を与えられた私が迎えた千年後のこの時が、この地にようやく訪れた目覚めと船出の朝となったことを人々に告げるために、私はまだ暗い夜明けの海に飛び立ちます。

いはて物語 奥州千年記 四章 碧き海にて 二、丘の上の未来都市 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 四章 碧き海にて 二、丘の上の未来都市

男たちは最も大切な家族を守るために、生活の場を仕事の場から離れた高台の山に移すことを決断します。高台の町と低地の海との間の坂道は、単線のケーブル電車で結びます。
何もかもを新しくつくる町は、企業にとっては先進の技術を試みる絶好の機会と規模でした。建材は地元の木材を使って規格化されたプレハブ工法でコストを押えました。電気は風力やバイオマスの企業と町が共同で小規模発電所をつくり、各住戸の太陽光発電と合わせて稼働させています。ここでは走っている車はすべて電気自動車です。エネルギー開発のベンチャー企業と大手のコンビニチェーン店と自動車会社がこの町で電気自動車の社会実験を行っているのです。町や海岸の至る所に設置された様々な装置がエネルギーをつくりコンビニのスタンドに送ります。冬に欠かせない暖房には、間伐材を利用したストーブや廃熱を利用した地域暖房などが取り入れられました。町役場と病院と各住戸は情報ネットワークで結ばれているので、高齢者や障害者が安心して暮らせるソーシャルサービスが可能になりました。テレビのチャンネルを回せばいつでも誰かとつながりました。
津波に飲み込まれた港町は、この国で最も
進んだ技術で再建されました。そしてそれは
不思議なことに、懐かしい記憶の中の町並みにとても良く似ていました。


いはて物語 奥州千年記 四章 碧き海にて 一、港のネットワーク [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 四章 碧き海にて 一、港のネットワーク

 島国の民として、人々は遥かに遠い昔から海と共に生きてきました。海という自然のまっただ中で生きて行く為には、その力の横溢というリスクを人々はその知をもって回避するより他に手だてのないことを知っています。
再び悲劇に飲み込まれることのない町をつくることを、人々は津波の後どこまでも続く瓦礫の中で誓いました。

経営の大規模化と多角化の流れは、被害の大きかった沿岸部の漁業において、より顕著なものとなりました。海の男たちの決断と結束は強く潔いものでした。船と加工工場をつくるための株式会社を興します。国や県には大株主に、一株主には日本中の沢山の人々になってもらいます。大漁が続けば、わかめや牡蠣の配当が送られてくる会社の株価が上昇しないはずがありません。男たちの夢は広がります。太平洋一の大きな漁港の整備です。
もっとも可能性を有する漁港の一つを整備することに投資を集中させました。大型船が何隻も停泊できる大きな艀ができると、外国漁船も入港する国際的な漁港に成長して行きます。リアス式海岸に点在する沢山の小さな漁港は、そこをハブとしてそれぞれが特色のある加工工場や造船工場を持ち連携します。ハブ港を中心に小さな港が手足となって動くことで、生産性の高い競争力の強いリスクの小さな水産業が可能になったのです。

いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 四、世界をつなぐ子供たち [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 四、世界をつなぐ子供たち

 世界中から送られてきた支援物資は、この土地のシャイな人々を、東京を超えて世界各国の人々と直接結びつけました。子供たちはお礼の手紙やメールを送る過程で国際人としての広い視野を手に入れます。この地の子供たちはその好奇心としなやかな感性によって
世界中の子供たちのパソコンの中に友達の輪を広げました。学校間での海外交換留学が盛んになり、優秀な国際人が沢山育っていきました。子供たちが大人のなる頃、この地には中央を凌駕するほどの人材が溢れました。皮肉なことにもはや大都会に就職先はありませんでした。地方が経済力を持った今、中央はかつての役割をすでに終わらせつつあったのです。


いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 二、未来をつくる産業の誘致 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 三、未来をつくる産業の誘致

三県はそれぞれの特性をアピールし、次々と有望な若い企業を誘致していきました。土地と環境を提供し、税金と雇用を得、世界に通用する地元企業に育てたのです。情報通信会社はマスターコンピューターを含む心臓部を移しました。石油会社は地熱・風力・太陽光・バイオマスなどの再生可能なエネルギーの研究実験施設を造りました。
未来を担う産業は大学との連携が必要だったので、企業は研究費用と環境を提供することで、この地に大学院を誘致しました。最初は工学部だけでしたが、理学部、薬学部、医学部と増えて行きました。医学部附属病院は、当初研究目的の難病患者だけを受け入れていましたが、次第に都会の病院と連携して短期的なリハビリ患者を沢山受け入れる様になって行きます。代替医療もここでは積極的に試みられました。
芸術学部ができる頃には、この地は独特の文化を育てていました。伝統的な工芸品は優れたモダンデザインとして、伝統芸能は新しい戯曲や音楽として世界に広まり、地元産業がその支援をメセナとして支えていったのです。経済力と文化力を蓄えることに成功した「奥州連合」は、こうしてその後の地方分権のモデルとなりました。

いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 二、奥州連合の誕生 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 二、奥州連合の誕生

 連帯は民間レベルから自治体レベルに広がって行きます。被害の大きかった東北三県は、中央政府との様々な交渉において「奥州連合」として連帯します。
震災によって人々の間に張り巡らされたネットワークは現場の声を救い上げ、上からの画一的な政策でなくそれぞれの地域特性に合った個性的な政策を立案し、「奥州連合」はそれを中央に認めさせてゆきます。人々の声が政治家を通さずに情報通信網というもう一つの議会で集約され自治体を動かし中央の政策に反映される時、この国の民主主義はすでに未知の次元に踏み出していたのかもしれません。
ついに「奥州連合」は、財政支援、地域復興、産業再建の為に、税金や規制に大きなメリットをもたらす「経済特区」としての独立を政府に認めさせました。中央からの経済的独立は、かつて黄金の産出で独立を守っていた祖先の勇気を人々に思い出させました。


いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 一、大規模農場経営の誕生 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 三章 清き里にて 一、大規模農場経営の誕生

 大津波が残していった塩と発電所から運ばれた放射能に大地が汚染された時、人々は悲しみに震え絶望に押しつぶされていました。
農耕地を再生する過程で、畜産業を再興する過程で人々は感じていました。たとえ元の状態に回復したところで、従来の家族経営の方法では気候や自然災害といったリスクに対応できず、輸入農産物との競争にも勝てないことを。農業も畜産業も家族経営という境界を乗り越えなくてはならない時代が来ていました。
人々は農地や牧草地を資本とする大きな農場会社を興しました。法人化は大規模投資
を可能にし、最新の技術が投入され、品質と生産性が飛躍的に向上しました。大規模屋内施設を建設し災害のリスクにも備え、徹底した機械化で安全で安価な食材を増産できるようにする一方、有機栽培で手間をかけた極上の農作物をつくることも大切にしました。高品質なものをつくる技術力こそが競争に勝つブランド力となるからです。
出荷過程でできる大量の野菜くずはバイオ燃料に、畜産業の糞などは有機肥料に加工し、環境に負荷をかけない循環するシステムが動き始めました。
大都市圏との直接販売ルートも確立し確実な利益を守れるようになると、補助金が不要になる程の高収益企業に成長したのです。

いはて物語 奥州千年記 二章 深き森より [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 二章 深き森より

私の住む深い森を、濃い霧と急峻な地形が長い間人々の手から隔ててきました。私がこの森で大切に守り続けているものは水源です。
森で生まれる清らかな水は、川や里や海を巡りすべての命を育て、再びこの森に帰ってきます。

始まりは、この森の裾野に広がる湖畔に、東京の小さな食品会社が、森の木を製材して造った小さな工場でした。森の恵みを料理の高級食材として加工し、岩清水をペットボトルにつめて街に送ります。パリの五つ星料理店のテーブルに載ると、自動車テレビをつくることで有名な国に、これほどの良質な自然食品があることに世界は驚きました。この国の森と人との関係は、マタギの伝統に学び、食品会社は利益の一部を森の維持活動のために還元しました。

建設会社は建築家と協力し、新たな木造プレハブ工法を開発しました。私の住む森の木を伐り出し製材すると、瞬く間に壊れた麓の集落を再建しました。遠くの輸入材よりも、この地の風土が育てたこの地の木材の方が人々の暮らしに適していることを建築家は知っていました。家々は規格化された工法で、それぞれの家族に合わせて短期間にローコストに建てられました。古民家を思い出す丸太小屋の厚い壁は寒さにも強く、ペレットストーブが良く似合いました。今では住宅だけでなくこの地の学校や役場などの公共建築さえもこの地の木材で建設されています。
忘れられていたこの土地の良質な木材が他の土地でも使われるようになると、廃れていた林業が山々に戻ってきました。森が正しい管理をされるようになると木漏れ日が豊かな山草を育てました。森はより豊かに逞しくなり、いつか山崩れもなくなっていました。

世界的な製薬会社は薬草栽培にも適したこの地に東京から本社を移しました。最初は小規模な研究施設でしたが、研究成果が上がると、最先端医療、遺伝子工学、バイオテクノロジーと次々と最先端の研究機関が集まってきました。「奥州連合」という経済特区の仕組みがこの動きを経済的に支援したのは言うまでもありませんが、今まで気づかなかったこの森が有する潜在的な治癒力と創造力を発見したからかもしれません。

山間の湯治場は、おいしい水と食材を利用した料理や最先端の医療技術と連携することで、豊かな自然環境の中の滞在型の保養施設や高級医療施設を抱えるリゾート地として、
世界中の賓客を迎える様になって行きます。スキー客は長い冬がもたらす良質な雪を、高齢者や療養客は高原の清涼な夏の空気を求めて、一年を通して絶え間なく人々が森を訪れる様になりました。

人々はこの森の豊かな自然環境を未来の子供たちとの共有財産として守り続けました。森と人が豊かに共生できる接点を、この地の人々は見つけ出しつつあります。森の恵みが繊細な生命の連鎖の中にのみ在ることを、人はその連鎖の中にのみ生きられることを基本とする産業が、森の中から世界に羽ばたいていく日も、そう遠い先ではありません。

いはて物語 奥州千年記 一章 三、原子力の封印 [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 一章 三、原子力の封印

 原子力エネルギーを国策として推進してきた政党が野党にある時に原発事故が起きたことで、日本の国のエネルギー政策が大きく転換したことは不思議な巡り合わせでした。汚染された土と水の浄化には途方もない程の時間と労力と費用が必要となり、使い終えた燃料棒の安全な保管場所さえ地震国の中のどこにも存在しないという現実に人々は直面しました。原子力という巨大利権による享受を受けて来なかった政治家が、あっさりと「原子力からの脱却」を宣言した事で、日本はその後、再生可能エネルギー分野で目覚ましい発展を遂げて行くことになります。このたった一点において政権交代は意味あるものになりました。

 朽ちかけていた政治形態、時代に合わなくなっていた産業構造、脆弱さを隠していたエネルギー政策は倒れ、瓦礫に覆われた混沌の中から、新種の遺伝子を孕んで再生の時を待っていました。


いはて物語 奥州千年記 一章 二、家族経営から地域経営へ [奥州千年記]

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いはて物語 奥州千年記 一章 二、家族経営から地域経営へ

復興の過程で産業構造も変化しました。グローバル化した世界で企業が生き残って行く為に必要なのは、ナンバーワンとしての高品質の評価を得るか、徹底したコストパフォーマンスを得るかです。船や耕作地を失った家族経営の製造業者達は連携することで新たな可能性を模索します。残された土地などの資産株式に換え資本家集団として、投資家を呼び込み共同会社として再出発しました。そこに官と民による集中的な投資を求め、大胆な技術革新を試みました。結果として世界的競争力をもった優良企業へと成長します。


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