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三輪の神と伊勢の神 [三輪]

伊勢の能褒野でなくなったヤマトタケルが、白鳥に化身し大和の西、大鳥神社まで飛翔したルートが、北緯334度32分の太陽の道。

大和では三輪山から日が昇り二上山に日が沈む

(西端)
大鳥神社
 ↓
逢坂山穴虫峠 (二上山) 檜原神社からの落日
 ↓
箸墓古墳
 ↓
檜原神社 (三輪山) 元伊勢 大和笠縫邑 初代斎王
 ↓
長谷寺
 ↓
室生寺
 ↓
伊勢斎宮 ヤマトヒメ
(東端)    

女姿と三輪の神 [三輪]

三輪山がご神体である。
日本の神々には、教義も戒めも経典もない。
従ってその恵みにも禍にも因果はなく、人は祈ることで禍をもたらす荒ぶる神
を慰めようとした。
神とは荒ぶる魂であり、恵みはその魂の僅かばかりの果実である。
神は道徳や法ではない。人智の遠く及ばない野生の領域にあるものだ。

シテは三輪明神とあり、後シテの謡出しは「女姿と三輪の神」とある。
女姿であって女神ではない。女姿とは何か。

一つは三輪の神の妻となった里女である。クセで語られる話はその妻の
一方的な告白であり、懺悔である。
里女である神妻に憑依した神、と考える。
「女姿と三輪の神」の「と」は二重写しを示唆している。

又一つは神降ろしの巫女である。
女神ではないので神舞でなく神楽を舞う。
巫女の姿で神楽を舞うが、巫女に憑依した神は男神である。

もう一つは女姿の天照大神である。
「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や」
天照大神と三輪の神が一体であれば、天照が女姿であるのと同じと言える。
天照が女神と言われる様になったのは、仏教伝来後の持統の頃である。
天照も女姿であり、女神ではないと言っているように感じるのだが。

能の起源はシャーマンの神降ろしの呪術にあると思う。
シテの体は依代となり、憑依する霊は様々に変化する。
神妻である里の女であり、神降ろしの巫女であり、その背後の男神、三輪の神でもある。
幾重にも重ねられた姿の中心には何もない、それが能だ。

鹿の子伝説を探る [東北]

和泉式部が鹿の子と伝承される由縁は何か?

鹿と鳥の文化史  平林章仁 より

①鹿が海を泳いで渡ることは古代において日常的なことであった。
②海人にとって海にいる鹿は身近な動物であった。
③鹿狩りは海を泳いでいる鹿に対して行われることが多かった。
④日本の和弓は水中の生き物を射ることに優れている。
⑤鹿の角は樹木に似ていることから森の神とされた。
⑥鹿の角を冠に頂くことで王やシャーマンは特殊な力を得ると考えた。
⑦神聖な生贄として鹿は神への捧げものとされた。
⑧生贄の中でも耳裂鹿は最も神聖な神に選ばれし者とされた。
⑨鹿の形で舞う鹿踊りは呪術的力を持つ儀式であった。
⑩鹿は神の使いとして狩猟を禁じられるようになった。

軽井沢の山中ではカモシカに出くわすことがある。
木々の中で屹立するその姿は神々しいほどの強さと美しさにあふれている。

鹿児島や鹿島や牡鹿半島など地名に鹿の由来のある地域は
海人の勢力圏であったらしい。
鹿と人が近かった時代の記憶。


聖杯と花籠 [花筐]

能のシテが手に持っているものは、象徴化された物語のエッセンスである。
花筐の場合の、後の天皇から送られた花籠(手紙がそえられている)とはいったい何のなのか?

「籠目」が悪霊を退ける。
六芒星の集合体であり、無数の目は邪悪なものを払う力を持っている。
鯉のぼりの髯籠は龍から鯉を守るためについている。
東南アジアから中国南部そして日本では竹籠を高く掲げて魔除けとする風習がある。

「髯籠」が善霊を招き寄せる。
何本もの竹を60度に交差させることによってできる無限平面は、神から授かった神聖な器である。
籠には、「入れもの」としての機能、聖なるものの依代としての機能がある。
籠目模様の入れ物→籠目模様の乗り物→異界と現世を往来する亀
風葬においては遺体を籠に入れ高木に掛けておくこともあった。
聖なる入れ物は、後世、汚いものを入れる屑籠に転落することになる。

日本の古代において、竹籠は「海人」の象徴である。
菊が皇室の象徴であるなら、竹籠は海人を象徴する。
海人は天孫以前の古代の先住民であり、天孫以降はその先住地の支配権を天孫に差出すことで、
天孫の外戚として権力の中に踏みとどまった。
つまり花籠の花は菊すなわち帝であり、妃として帝に差し出された娘は、海人の血を天孫の中に注ぎ込む
器としての籠という暗喩があるように思う。
それは、キリストの血を受けた女性を聖杯として暗喩するのを思い出す。

もし、そんな意味があるとしたら、謎の多い継体天皇の出自はともかく、
即位の裏側には海人の豪族の力や妃の存在が当時の共通認識としてあったのかもしれない。
征服者の前で舞を舞うことは服従の証しである。
照日前の舞はラブロマンスに書き換えられているけれど、継体の即位の謎に秘められた、
海人の悲劇の物語であったかもしれない。








花筐と岩倉山 [花筐]

「青眉抄・青眉抄拾遺」 上村松園 花筐と岩倉山 より抜粋

………
「お夏狂乱」などで、女人の狂い姿を見てはいるが、お夏の狂乱は「情炎」の狂い
姿であって、この花筐の中の狂い姿の様に「優雅典雅の狂い」というものは
感じない。同じ狂いの舞台姿でも、お夏と照日前の狂いにはかなり隔たりがある。
………
お夏のは全くの狂乱であり、照日前のは、君の宣旨によって「狂人を装う」狂乱
の姿なのである。そこにお夏の狂態と照日前の狂態に隔たりが見えるのでも
あろう。
………
狂人の顔は能面に近い。
狂人は表情に乏しい故であろうか、その顔は能面を見ている感じである。
嬉しい時も、悲しい時も、怒った時も大して表情は変わらないようである。
思うに「感情」の自由を失った彼らの身内に、嬉しい、哀しい、憤ろしいということも
余りないのではなかろうか。
怒ったt時は動作でそれを示しても、表情でそれを示すのは稀である。
そういうところが狂人の特徴であることに気付いた私は「花筐」における照日の前
の顔を能面から持ってきたのである。
このことは「草紙洗小町」にも用いたのであるが、狂人の顔を描くのと能面を写す
のとあまり変わらないようであった。
………
狂人の眸には不思議な光があって、その視点がいつも空虚に向けられていると
いうことが特徴であるようだが、その視線はやはり、普通の人と同様に、物を言う
相手に向けられている―少なくとも、狂人自身には対者に向けて居る視線なの
であるが、相手から見れば、その視線は横へ外れていて空虚に向けられている
如く感じるのである。
………

和泉式部の足袋 [東北]

東北の主人公和泉式部について面白いエピソードを発見した。
ウィキペディアによれば、和泉式部は978年頃、越前守大江雅致と越中守平保衡の娘の間に生まれ、御許丸と呼ばれ太皇太后宮・昌子内親王付の女童であったらしい。
和泉守・橘道貞と結婚したが破綻し、その後は火宅の人として数々の激しい恋を繰り広げることとなるわけです。常識的な人にとってはとっても迷惑な存在だったかもしれません。東北と言えば鬼門の方角。
中々痛烈なネーミングでもあるわけです。

杵島山に福泉寺という薬師如来を本尊とする真言宗の山寺があり、塩田郷の大黒丸夫婦が子授けを祈願していました。あるとき御堂の裏で赤子の泣く声がしたので行ってみると、鹿が人の子を産んで乳を与えていた。この子は大黒丸夫婦に引き取って育てられ、御許丸と名付けられたが、宮廷に仕えて和泉式部となり、紫式部、清少納言、赤添衛門と並んで平安の歴史を飾る存在になった。彼女は鹿の子であったので、生まれながらに足の指が二つに割れていた。それを隠す為に母は足袋を発明して娘にはかせたといいます。
(柳田国男・和泉式部の足袋)

杵島山は佐賀県杵島郡にあるらしい。有名人なので各地に伝承が残っているのだろうが、鹿の子であるというかなり奇抜な意見は奥が深いと感じる。


国立能楽堂3月 若手能 杜若 シテ小倉健太郎 [杜若]

恋の化身

恋は甘美な狂気である。恋は一瞬にして燃え立ち、瞬く間に消えてしまう儚い幻。

シテは杜若の花の精。業平に恋した高子ではなく、しいて言えば業平である。
高子であれば、未完の恋の成就を願う妄執となり僧に救いを求めるだろう。

花の精は、恋の喜びに身を任せ、永久に幸福の絶頂にある。
恋なのに終わりもなく始まりもない。

時のない世界 確かなものは何もない。
花前に蝶舞う 紛々たる雪 
柳上に鶯飛ぶ 片々たる金

花の精は高子と業平の一瞬の恋の化身だから。

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