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翁08草原のシャーマンと鍛冶師 [翁]

ヤズルカヤ.JPG
ヤズルカヤ(ヒッタイトの聖域) 12人の黄泉の国の神官


翁08 草原のシャーマンと鍛冶師

鉄と人類の出会いは「隕鉄」である。
紀元前3000年前のメソポタミアのウル遺跡から鉄器の断片が発見された。

隕鉄は天からの崇高な贈り物として王に帰属した。隕鉄を加工し、王剣や祭器の制作に当
たる技術者は、神聖なるものに触れる故に神事に携わる神官として特定の血族に限られた。

鉄の帝国ヒッタイトは、アナトリア(現トルコ共和国)で紀元前1650年頃誕生した。
ビュクリュカレ遺跡はアッシリアの植民地として紀元前2000年頃建設され、1650
年頃火災により焼失し、ヒッタイト帝国はその土着の文化の土台の上に築かれた。
帝国の首都はハットウシャシュ、宗教的中心はアラジャホユック(アリンナ)である。
ヒッタイトの「千の神々の民」の最高神が、太陽の女神アリンナである。
紀元前1190年頃滅亡するまで、その製鉄技術による武力によりメソポタミアを支配し
た。

特定の氏族に鉄の加工技術が蓄積されていった結果、人工鉄の製造技術が誕生した。
鉄を生み出すのは神だけとされた時代に、石塊から神聖な鉄を生み出す技術は、神の技術
であり、神に仕える鍛冶師が、神として、王になることが可能になった。
鉄を生み出す力を持つ者は、アリンナの太陽神の神託を受ける神官から、世俗的権威者で
る王へと変化した。
ルーマニアの20世紀最高の宗教学者ミルチャ.エリアーデ(1907-1986)によればアジア
ヨーロッパの広い地域で、鍛冶師が神の仕事を完成し神の名においてその仕事をするもの
として、古代の共同体においては重要な役割を占め、共同体の最初の王は、鍛冶師であっ
たという多くの例を上げている。

ヒッタイトの民族は各地へ流出して行き、製鉄技術は、ダマスカス→エルサレム、バビロ
ニア、パルティアを経て各地に伝播していく。
・西ルート
 エジプト→バクトリア(エーゲ海文明)→ローマ→ピレネー山脈(スペイン)→旧カタ
 ロニア王国【カタラン製鉄法】
・東ルート
 バーミアン、カブール、カンダハール、ペシャワールを経て2つのルート
 →現パキスタン→インド南部ウーツ→チベット→江南の夏、商、殷
 →ホータン→楼蘭、敦煌→西安→タタール
・海ルート
 チグリスユーフラテス河→紅海→インド→インドシナ→海南島

ヒッタイトの鉄技術の神髄は「鋼」であり、その鋼の技術者はほんの一握りの最高神官で
ある。彼らがその後どのような足取りをたどったのかはわからないが、再び鋼の技術が花
咲くのは日本列島である。

ヒッタイト滅亡後、その鍛冶シャーマンの文化は草原の遊牧騎馬民族国家スキタイにわた
り、スキタイからその後の中央アジアで様々に展開していった。
シベリアの諸部族において鍛冶師は特定の家系の者の秘術とされ、神職者シャーマンでも
あった。ヒッタイトの神事における祭器は、金属音を出す錫杖型のもの、鹿や牛を型どっ
たものが見つかっている。シベリアのシャーマンの服についた沢山の鉄鐸、鹿の角のつい
た兜、あるいは風の神を象徴する服についた沢山のひも状のヒラヒラ、これらはヒッタイ
トの鍛冶神官に由来していると考える。

「遊牧騎馬民族国家 護雅夫著」より

・未開社会においては鉄に異常な霊力が認められた
・北アジア、中央アジアの遊牧民族においても鉄に異常な霊力が認められた
・ブリヤートでは鍛冶の能力を持つものは神の後裔
・後世のブリヤートでは、刃物は病人に睡眠中の人を守ると考えていた
・鍛冶、鍛冶師は社会で重要な地位を占めていた
・モンゴル民族の君長、君主は鍛冶師であった
・モンゴル民族の始祖伝説 エルゲネークン山脈で鉄鉱を採掘していたところに木材
 を積みあげてそれに火をつけ、70個のふいごであおりたてて、鉱坑を爆発させ、
 その開かれた通路を通って新天地オノン、ケルレン、トラ三川の河畔に出た
・ジンギス=カンは鍛冶師であった(伝承)
・モンゴル王朝イル汗国では毎年除夜に、鍛冶師などが君主の面前で熱した鉄を鍛え、
 満廷の人士はおごそかに上天に感謝する儀礼をおこなった
・新羅の昔氏の始祖脱解王は鍛冶師であった
・突厥の阿史那氏族は「柔然の鉄工」としてアルタイ山脈南方で鍛鉄に従事していた。
 アルタイ(金)山の形は兜に似ていて、兜を「突厥」と呼んでいたので、自らを、
 「突厥」と称した

ヒッタイトを起源とする鍛冶シャーマンが日本列島に渡来していたと私は確信する。







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