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井筒07 神宮寺お水送り [井筒]

お水送り.jpg
神宮寺「お水送り」遠敷川にお香水を注ぐ


井筒07神宮寺お水送り

東大寺の修二会は、かつて旧暦2月1日から15日まで行われていたが、現在では新暦
3月1日から14日まで行われる。二月堂の本尊十一面観音に、精進潔斎した行者である
錬行衆が悔過(過去の罪障懺悔)をし、その功徳により、興隆仏法、万民豊楽、五穀豊穣
を祈る法要。
奈良時代は「十一面悔過法」、平安時代になり「修二会」と呼ばれるようになった。
旧暦の二月はインドの正月にあたる。
一月に行われるものは修正会。


◇修二会の全体の流れ

2月15日「別火」
2月21日「社参」「試みの湯」
2月23日「花栫え」「燈心揃え」
2月28日「大中臣の祓い」
3月 1日「授戒」「開白上堂」「開白法要」「食作法」を連日行う
3月 5日「過去帳読誦」「咒師作法」「走りの行法」
3月 6日「咒師作法」「走りの行法」
3月 7日「咒師作法」「走りの行法」
3月12日「過去帳読誦」籠松明 「咒師作法」「お水取り」「走りの行法」
3月13日「咒師作法」「達陀の行法」「走りの行法」
3月14日「咒師作法」「達陀の行法」「走りの行法」

◇一日の流れ

悔過→悔過→(長い休憩・お松明)→悔過→大導師→咒師→悔過→(短い休憩・本手水)
→悔過→大導師→咒師→悔過

◇お水取り

3月12日午前1時、後夜の咒師作法の中で、咒師は蓮松明の下、雅楽が奏される中、
5人の錬行衆とともに南側石段を下り閼伽井屋(若狭井)へ行き、数人の童子と共に中へ
入り香水を汲む。香水は閼伽桶に入れられ、榊を飾った担い台に載せられ、内陣に運ばれ、
須弥壇下の香水壺に移され、本尊に供えられる。
閼伽井は普段は水が枯れているが、3月12日のお水取の時だけ湧き出すという。

◇お水送り

3月12日に汲まれる修二会のお水取りの香水は、3月2日に若狭小浜の遠敷川に注がれ
た水とされる。神宮寺のお水送りである。
この水は、752年東大寺二月堂建立に際し、修二会の行法のため全国の神々に来臨を請
うたところ漁に夢中で修二会もあと2日となった12日に遠敷明神が現れ、お詫びとして
若狭から香水を持ってきたというと、二月堂の側らの大岩の前で祈ると岩は二つに割れ、
白と黒の鵜が現れ泉が噴出したことに由来する。

若狭神宮寺は、創建714年、この地に遠敷明神(若狭彦神)の直系子孫、和朝臣赤麿が
住んでいて、銅鐸を持った先住民族の王を金鈴に仮託し、長尾明神として山上に祀り、そ
の下神願寺を創建したことに由来する。715年元正天皇の勅願寺となり、若狭彦・若狭
姫を根来白石より勧請し、神仏混合寺院となる。鎌倉時代に根来神宮寺に改名。

752年に東大寺で修二会を始めた実忠和尚は、天平の頃インドより来日し、若狭小浜の
神願寺で数年を過ごしたのち、東大寺の良弁の弟子となった。若狭の地は大陸からの人々
が漂着する湊であり、ここから都に陸路で向かった。

11時 「山八神事」下根来 八幡神社
     神宮寺住職の読経→樫の葉を配り後方に投げる→香水を頭にかけてもらう→お
     神酒で練った赤土をなめ、お米を一つまみ食べる→神酒拝戴→日本の柱に「山」
    「八」と赤土で書く
13時 「弓打神事」神宮寺本堂
14時 「法華懺法」神宮寺本堂
18時 「薬師悔過法要」
18時半「達陀の行」→大護摩点火
19時半 神宮寺から2キロ上流の鵜の瀬に向かう
21時半 神宮寺住職が送水文を読み、邪気祓い後、お香水を遠敷川に注ぐ

神宮寺本堂前の護摩壇の脇にスダジイの巨木がありその下に閼伽井屋がある。閼伽井は大
小二つの井戸があり、この閼伽井の香水を竹筒に汲む。

遠敷川の鵜の瀬にある水中洞穴にこの香水を注ぐ。
水中洞穴は二月堂の若狭井に通じているとされ、その穴から鵜が10日間かけて香水を奈
良に運ぶと言われている。

福井県小浜から奈良県の東大寺まで直線距離で90キロ、北から南へ向かう行程である。
京都盆地の地下には琵琶湖の2/3の地底湖があり、豊かな地下水脈は北東から南西に向
かって流れていることが電磁探査で解明されている。
桂川、宇治川、木津川の三川合流地点から大阪平野に向かっているらしい。

「お水送り」「お水取り」の神事は、この地下水脈を知りカナートの技術を持った人々に
よるものではないだろうか。

「山八神事」は、遠敷川上流の下根来神の谷の根来八幡宮、正式名手向山八幡宮の神事で
ある。

赤い土、地下水脈、聖火を結び付ける信仰はどこから来たものなのだろうか。




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