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枕慈童02 不老不死の仙薬 [枕慈童]

石庭.jpg
竜安寺 石庭 ウィキペディア


枕慈童02 不老不死の仙薬


前221年天下統一をして2年後、秦(前259~前210)の始皇帝は、首都咸陽を
出発し、泰山に昇り封禅の儀を行った。そののち山東海岸遊行中、方士の徐福が始皇帝
に言上する。
東海の渤海の中には蓬莱、方丈、瀛州という三神山があります、そこには種々の仙人
仙薬が全部そろっており、住まっているものは、鳥獣までが白一色で、宮殿楼閣は金銀
でできているとのことです。是非とも私共を三神山へ遣わして、仙人や仙薬を求めさせ
ていただきたい」
始皇帝は徐福の望みを聞き、金と人を与え、船を出した。そののち10年間、不老不死
の仙薬を求め船を出したが、望みかなわず50歳で亡くなった。

前漢(前156~前87)の武帝に方士李少君は言上した。
「竈の神を祀れば、神霊を招くことができ、神霊を招くことができれば、その力を借り
丹砂を化して黄金にすることができます。その黄金で食器を作って食すれば、寿命を延
ばすことができます。寿命が延びれば海中の蓬莱山中に住む仙人に合うことができます。
仙人にあってから封禅の儀を行えば、もう死ぬことはありません。」
武帝は方士たちの虚言を実行し、晩年には「神仙蓬莱庭園」を生み出す。
大液池の中に蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の4島を築き、漸台という建物を建て、亀や魚の
形をした石組みを配した。

舟で旅立った徐福一行は、おそらくそののち日本列島に到達し、「神仙蓬莱庭園」は、
飛鳥時代に造園技術者とともに日本に伝わり、日本庭園へと発展していく。
蘇我馬子が島大臣とよばれたのは、勾(まがり)の池と呼ばれる曲線の大池に島を浮
かべていたからと言われている。庭は神仙世界の理想郷の表現であり、人が究極に欲
するものが永遠の命であったからであろう。

仙人とは山中に住み、老いる事も死ぬ事もない。水中で溺れず、火中でも焼けない。
姿を一瞬にして消し、翼で空を飛ぶ。そんな仙人になる方法論は、中国人らしい極め
て現実的かつ具体的なものである。
・長寿の動物の動きを取り入れた体操
 鶴や亀が首を伸ばしたり、手足を良く屈伸させているのは体内の障気を吐き出して
 いる
・体が滅びる様にできているのは、頭、心臓、臍下に三シ虫がいるからである。五穀
 は虫の餌となるため服餌といわれるキノコ、松の実などを食べる
・仙薬となる薬草や鉱物は良いものが大山にあり、作薬には精進潔斎し山の力を借り、
 洞窟で行う。
・最高の仙薬である金丹は、丹砂(硫化水銀)に砒素、明礬等を加え1か月以上高温
 で精錬する。これに更に別の材料を加えると黄金になる。


不老不死を願う神仙思想は道教の思想の一つである。日本の学会では道教は日本に伝
わっていないとして、その根拠を、
淡海三舟「唐大和上東征伝」、「古事記類苑」「群書類従」に記載の「政府が道教の
伝来を拒絶した」との文言によっている。
道教及び神仙思想が日本列島にもたらされていなかったとしたら、浦島伝説、羽衣伝
説に登場する仙人はいったいどこから来たのだろうか。
「山姥」や「枕慈童」といった能は何故あるのだろう。
中国伝来の不老不死の神仙思想は、日本における特殊な精神主義に至る「道の思想」
として深化していったのではないだろうか。
それは、中国人とは違った極めてストイックで抽象的なな方法論であった。




ヴァージニア・ウルフ的枕慈童 [枕慈童]

ヴァージニア・ウルフのオーランドはとても好きな物語だ。400年前のエリザベス朝期、女王の寵愛を受けた青年貴族オーランドが女王の命により永遠の若さを保ちながら生き続ける物語だ。ヴァージニア・ウルフはまるで、枕慈童を知っていたのではないかと思うほど。私はアングロサクソン人種が苦手なのだが、西のシェークスピア、東の世阿弥と思うほど、こと演劇に関してはイギリス系というか古典系なのだ。最近、謡いのレパートリーが少し
広がり、ひょっとして禅竹の方が好きかも。そもそも、天才っていうのはあんまり薀蓄は述べないものだ。天才世阿弥は本当に花伝書を書いたのだろうか?私は聖書のように身近にいた弟子が口述筆記したのではないかと思う。長島茂雄やイチローは本は書かないだろう。天才の集中力とはそういうものだ。禅竹なら書いただろう。多分天才じゃなかったから。ヴァージニア・ウルフ的枕慈童で、素謡初シテをこっそり楽しみました。難解だわ。
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