So-net無料ブログ作成
検索選択

井筒06 水辺の斎庭 [井筒]

井筒06三ツ寺遺跡.jpg
三ツ寺遺跡

井筒06 水辺の斎庭

大和朝廷による飛鳥京の井戸の祭祀と、採集社会における泉や川の女神の間には、どのよ
うな水の祭祀があったのだろうか。飛鳥京における水の祭祀は、本格的に国家宗教として
導入される仏教に入れ替わる直前の、(後の神道、密教の中の儀式等に引き継がれていく)
豪族たちがそれぞれ行っていた祭祀の中で最も典型的かつ普遍性をもった宗教的権威であ
ったのだろう。

群馬県榛名山が6世紀に2度の大噴火を起こし、山麓の村、水田、住居は火山灰に埋もれ
たまま、新幹線工事中に発掘された。三ツ寺Ⅰ遺跡は、5世紀の首長の館跡である。
火山の周囲は比較的大きな平坦地があり、樹木の少ない火山は放牧に適していたことから、
火山の周囲には多くの集落ができたのだろう。
方形の敷地は4つの区画からなり、北側には竪穴住居、工房、倉庫が、南側には政治の場
としての大型建屋と井戸、屋外祭祀場がある。
敷地の西側と南側には濠が北側と東側には崖があり、出入りは台形の張り出し部分に掛け
られた橋で行われた。遺跡近くの古墳からは、水壺を捧げ持つ巫女の埴輪が出土している
ことから、祭祀場では井戸から汲み上げた水による祭祀が巫女と王によって執り行われた
のだろう。

このような水の祭祀場が発見されたいわゆる古墳時代の遺跡には、他に下記がある。
静岡県井伊盆地 天白磐座遺跡
三重県 城之腰遺跡
奈良県葛城山麓 南郷大東遺跡
・奈良県馬見古墳群栗山古墳

泉や川原などの湧水や磐座といった自然地形に神の来迎を感知した古代社会が、治水技術
により、井戸などの人工的な装置によって神の呼び出しを可能にする王の出現によって終
わりを告げた。水の祭祀は巫女によって王権の機能として執り行われ、最終的に大和朝廷
によって完成された。ただそれは宗教としては結局アニミズムを超えることなく、仏教以
前の日本人の禊や穢れ払いなどの水をめぐる宗教観は神道として封印されていく。


井筒05 飛鳥の聖水 [井筒]

井筒04ソーマスートラ.jpg
ヒンドゥー教シヴァ神殿のソーマスートラ

井筒05 飛鳥の聖水

頭に聖水を注ぐ灌頂の儀式は、ヒンドゥ―教や仏教で行われるが、宗教には聖水が欠かせ
ない。水のもつ清めの力が抜きんでている故だろう。
聖水はどの様に得られるのだろうか。川や海で簡単に手に入る水であれば希少性がない。
人々を魅惑しそれを持つ者の権威を高める特別な水でなくてはならない。

ヒンドゥー教の聖水の生成には、寺院内の祠堂のリンガとヨニが使われた。
祠堂は回廊で囲まれた寺院内の中央の高い塔で、その中央にリンガとヨニが据えられた。
リンガは、男根を象徴し、ヒンドゥー教の至高神シヴァ神の化身とされる。
ヨニ は、女陰を象徴し、シヴァ神の妃ドゥルガーの化身とされる。
ヨニは石造の四角い土台に四角い穴が開いており、円柱形の石造のリンガが差し込まれて
いる。(リンガとヨニは、1個セット2個セット3個セットと色々ある。)
リンガの頭頂部から聖水が注がれ、ヨニに集められ、ヨニを通過する。
ヨニ上部の嘴型の部分から流れる様式と、ヨニの基底から流れる様式がある。
ヨニから流れ出た聖水は、ソーマスートラという地中に埋められた細い樋を通り、北側排
水溝に流れ出る。排水溝にはマカラ(魚)の形の石造の水盤が設置されることが多い。
さらに聖水は細い溝をとおり、聖なる濠バライへと運ばれる。

リンガとヨニは神と神との合体であり、世界の創造であり、祠堂は子宮である。
聖水は宇宙が創造されたように神々の合体によって神の子宮から生成される。

飛鳥京の聖水装置.jpg
飛鳥京の聖水装置

出水の酒船石はヨニとソーマスートラであり、元々ヨニの上にはリンガが乗っていたもの
と考える。
平成12年に発掘された亀形石造物、小判型石造物もソーマスートラと考える。

リンガとヨニ.jpg
リンガとヨニ

リンガの形状は三層構成になっており、一番下が正方形、真ん中が八角形、上が丸い棒状
で、ここに神や仏が彫り込まれていたりする。
益田岩船は、巨大なヨニであり、正方形の二つの穴の部分にはリンガが差し込まれていた
のではないだろうか。(2個セットのパターン)ここで生成された聖水が地下水となり麓
で聖水として汲まれたのではないだろうか。

飛鳥京の聖水が、仏教のものか、ヒンドゥー教のものか、ゾロアスター教のものか知る術
はないが、水をめぐる遠い記憶が、長い旅路の果てに、微かに蘇ってくるような気がする。



井筒04 水辺の乙女 [井筒]

天真名井.jpg
天真名井 槻の木(欅)の根本から湧き出る泉


井筒04 水辺の乙女

タキリヒメ・イチキシマ(サヨリ)ヒメ・タキツヒメ

アマテラスとスサノオは天の安河を挟んで誓約した。
アマテラスはスサノオの十握の剣をもらい、三つに折って天の真名井で振り清め、よく
噛んで吹き出した息吹からタキリヒメ・イチキシマヒメ・タキツヒメを生んだ。
スサノオはアマテラスから勾玉を結んだ玉をもらい、天の真名井で振り清め、よく
噛んで吹き出した息吹から五柱の男神を生んだ。
先に生まれたスサノオの三柱の女神タキリヒメ・イチキシマヒメ・タキツヒメは、宗像
神社の沖つ宮・中つ宮・辺つ宮に鎮座した。


トヨタマヒメ(豊玉姫)

海神オオワタツミノカミの娘トヨタマヒメは、天孫ニニギノミコトとオオヤマツミノカミ
の娘コノハナサクヤヒメとのホオリノミコトと結婚し、ウガヤフキアエズを出産。
出産に際し、見てはならないとの約束を破り、ワニまたは龍の姿になったトヨタマヒメの
姿を見てしまったため、ワタツミノカミの国へ戻った。
ウガヤフキアエズはトヨタマヒメの妹タマヨリヒメに養育され、成人した後タマヨリヒメ
との間にカンヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)をもうける。

セオリツヒメ(瀬織律姫)

水神、滝神、川神、海神(九州以南)。
伊勢神宮内宮別宮荒祭宮祭神ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ 、又は悪神
八十禍津日神の別名の別名と考えられているいる。
八十禍津日神については、祓戸四神の一柱で穢れを早川の瀬で清めるとの記載があるが、
「大祓詞後釈」においては「深き理ある事なりける」とあるだけで、高天原との繋がりは
不明。
他に、祇園祭鈴鹿山ご神体の鈴鹿権現、熊野権現もセオリツヒメと伝えられている。
又、七夕伝説の織姫、棚機津女は巫女であり、水辺の機屋でその夫である神の衣を織り、
一年に一度神は棚機津女から神衣を受け取り、豊穣をもたらし穢れを持ち去る。

ヌナガワヒメ(沼河比女)

大国主は、高志国沼河に住む沼河比女に歌を送り求婚した。二人は翌日結婚し、タケミナ
カタノカミを持った。タケミナカタは姫川をさかのぼり諏訪に入り諏訪大社の祭神となる。
古語の「ぬ」は宝玉を表し、翡翠を指している。沼河比女は、高志国の祭祀王であったと
考えられる。

イイトヨノヒメミコ(飯豊青皇女)

飯豊皇女、飯豊王女 飯豊女王、飯豊王、飯豊郎女、青海皇女、青海郎女、忍海郎女、
忍海部女王、忍海飯豊青尊の別名。
23代清寧天皇、24代顕宗天皇の間の執政者(天皇)。
古語の「いひとよ」は梟を指す。「おしぬみ」は飯豊王の本拠地葛城内の地。
「あおみ」は、福井県内の地名、青衣の女人(修二会過去帳)、青旗(葛城山の枕詞)、
などと関係が推測される。
「陸奥国風土記 逸文」に福島県飯豊山についての記載がある。
「白川郡飯豊山。この山は、豊岡姫命(豊受比売神)の忌庭なり。又飯豊青尊(飯豊女王)
、物部臣をして、御幣を奉らし賜ひき。故、山の名を為す。
故老曰へらく、昔巻向珠城宮の御宇天皇(垂仁天皇)27年の秋、飢えて人民多く亡せき。
故、宇恵々山と云ひき。後に名を改め豊田と云ひ、飯豊と云ふ。」

ハシヒメ(橋姫)

橋の袂に男女二神を祀ったことをはじまりとする、水神。
外敵の侵入を防ぐ橋の守護神であり、嫉妬に狂う鬼神でもある。
橋姫神社 :京都府宇治川の宇治橋
橋姫神社 :伊勢神宮五十鈴川饗土(疫病や悪霊を防ぐ道饗の祭の地)
橋姫神社 :滋賀県瀬田の唐橋
橋姫神社 :大阪の長柄橋(現存せず)

サラスヴァティ(弁才天)

ヒンドュー教の女神サラスヴァティは、仏教に取り込まれ弁才天となる。
サラスヴァティはインドの聖なる河の名。音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神。
河の神であることから、井戸、ため池、河川の治水や、水神、宗像三女神の一柱イチキシ
マヒメと神仏習合して、泉。島、港湾の入り口に、弁天社、弁天堂として数多く祭られた。
他にセオリツヒメが弁才天として祭られる場合もある。日本五大弁天は、
竹生島神社   ;琵琶湖竹生島宝源寺
大願寺     :広島県宮島
江島神社    :神奈川県江之島
天河大弁財天社 :天川村
黄金山神社   :金華山


大古、祭祀は巫女によって行われた。
さらにさかのぼれば生命を生み出す女性はかつて女神であった。生命は水の中に生まれる。
水は生命の源であり、水を司るのは女神であった。
狩猟採集世界において、地母神は食という命を司る水の女神であった。

農耕が始まり、食をコントロールする知恵者が王となり、泉は井戸にその座を奪われる。
泉の女神は、新たに現れた絶対神から神託を受ける祭祀王に転落した。
祭祀王である巫女は、絶対神に雨乞の祭祀を行い、託宣を軍事行政王に伝えた。
大和朝廷は、狩猟採集世界から農耕社会に移行する過程で、女性祭祀王と男性行政王が並立
した社会であったのだろう。推古や斉明といった女性天皇は農耕社会変革の過渡期に必然的
に現れたのであり、決して中継ぎなどというものではなかったはずだ。

女神たちは、男神(行政王)との結婚という神話で、物語の中に封印されていったのだろう。




井筒03 飛鳥の井戸 [井筒]

飛鳥宮大井戸 明日香村教育委員会提供.jpg
飛鳥宮大井戸 明日香村教育委員会提供 

井筒03 飛鳥の井戸

「伝飛鳥板蓋宮跡」には、方形の石敷きの井戸がある。
7世紀飛鳥時代の歴代天皇の宮殿は、(難波長柄豊崎宮と近江大津宮はのぞく)
ほとんどこの地に営まれた。

629(舒明0)飛鳥岡本宮
636(舒明8)飛鳥岡本宮 消失 臨時に田中宮
643(皇極2)飛鳥板蓋宮 
645(大化0)難波長柄宮宮
655(斉明0)飛鳥板蓋宮 出火 飛鳥川原宮
658(斉明2)後飛鳥岡本宮
672(天武0)飛鳥浄御原宮
694(持統8)藤原京

発掘調査の結果、
最下層:舒明天皇の 飛鳥岡本宮
 中層:皇極天皇の 飛鳥板蓋宮
最上層:斉明天皇の 後飛鳥岡本宮 と 整備した天武天皇の 飛鳥浄御原宮
が重なって埋まっていることが確認されている。

現在地表に残された石敷きの遺構はしたがって、
斉明天皇の 後飛鳥岡本宮 を 整備した天武天皇の 飛鳥浄御原宮 の遺構であり、
斉明天皇の時代の姿と同じものではない。
飛鳥京の他の遺跡も、後の整備によって原型とは配置も含めて変形しているか考えてよい。

しかし、舒明から天武までの宮の多くが同じ場所に幾重にも重ねられたのは何故か。
特別な意味があったことを示すのが井戸であったと思う。

日本列島は水資源に恵まれていたため、人々は川辺や海辺に居住していた。
井戸は、稲作や製鉄や織物といった技術と共に、弥生時代に導入された革新的技術だった。
井戸は、すなわち地に穴を掘る技術であり、
地中の水脈を探り、水を得れば井戸となり、
地中の鉱脈を探り、鉱物資源を得れば坑道となった。
水脈も鉱脈もすなわち宝、財であり、権力の源泉であった。

飛鳥以前に渡来した技術者たちは、水田や物流の為の運河や用水路をつくり、
残土を築山とし、そこを彼らの王の墓とした。
土師氏が盛った土に、横穴の室を石でつくり、王墓とした。
王は最初に朱を、次に丹を、最後に鉄を得るための抗すなわち井戸を掘った。
「あなむち 穴遅」という名は、古墳時代の井戸の王の名であろう。
井戸の技術者は「あなし 穴師」「あのう 穴生」と呼ばれる石工技術集団になった。
「穴太衆」は現在の滋賀県大津市坂本穴太を本拠とする石工集団で、戦国時代には、
安土城を始めとする多くの城の石垣を築造した。

飛鳥に京が作られた600年代は、井戸が王の権威として認識されていた時代ではなかったか。
水や鉱物などの資源の象徴であると同時に、この世とあの世を繋ぐ霊魂の通路として、
祭祀の中心に水すなわち井戸があったのではないだろうか。仏教が伝わる前の話である。




井筒02 稽古 井筒 [井筒]

謡も仕舞も「井筒」のお稽古。数年前までまったく関心のなかった、まったりとした三番目ものに、如何したわけだか足を踏み入れることとなった。稽古してみて初めて、漠然と感じていることがある。生の持つなんともいえない切なさだ。ある意味、死は永遠だから切なくない、むしろ安息。生きることは愛すること、悲しむこと、喜ぶこと、嘆くこと。幼いころ井筒に二人の影をうつしたそのイノセントな瞬間こそが、彼女にとっての永遠であり、存在理由だったのだろう。その後の女としての人生は、彼女にとっては移ろいやすい不確かなものであり、あの瞬間の絶頂感(そののちに知ることになる)に比べれば物足りないものだったのだと思う。女として愛されるよりも幼友達として愛されるほうが幸せだと思うことは不思議ではないと私は思う。いやいや現実はむしろ逆で、業平は彼女を女として愛してはいなかったのかもしれない。だから彼女は自分の居場所を井筒に求めざるをえなっかたのかもしれない。どちらにせよ女として男と向き合うことは、四季のある世界で夏だけを求めるようなもの。楽園を追われたアダムとイブが泣いているように、彼女は井筒の中に失った楽園を見たのだろう。

井筒01 月並能10月 井筒 「絶望の淵」 [井筒]

三川泉 井筒 「絶望の淵」

「暁毎の閼伽の水、月や心も澄ますらん」
女が水桶を下げ現れる。古塚に供え、祈る。水桶の水面に、去り行く月が映りこんでいる。
水は女、月は男。重なって浮かんでいても一つになることはない。
月と水の距離はあまりに遥かで、互いに届くことはないのだから。

「草茫々として露深々と古塚の、真なるかな古の、跡懐かしき景色かな」
世界は遠い昔に終焉してしまい、女だけが取り残されている。
失われた時間はあまりに長く遠い。

「友達語らいて互いに影を水鏡、面を並べ袖をかけ、心の水も底いなく」
幼子たちの笑い声が井筒の周りでこだまする。
眩しく清明な光の中で幼子は暗く深い井戸を覗き込む。
水底に二人の影がゆらり重なる。


長じて業平の妻となり、別の女からも業平を取り戻している。
女は、嫉妬も苦しみも呪うこともなく、恋に勝利した。
なぜ、この世にとどまりつづけるの。業平さえも去ってしまったこの世界に。

「今はなき世に業平の、形見の直衣身にふれて、はずかしや昔男にうつり舞」
業平の直衣をつけ、夢に遊び、幻に舞う。

「見ればなつかしや」
昔したように井筒の底を覗き込む。
月光はやわらかく水底に降り注ぎ、うつつの姿を映し出す。
業平ではなく、業平の面影を。

失われた時はもうもどらない、とりもどすことなどできはしない。
時の井戸はひき帰せない。

水面の月のように、あなたと私も水鏡の中では一つだけれど、それは幻。









メッセージを送る